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平成18年12月17日号
ISOWAビトの物語


会社に製品あり、製品の影に人あり、人に歴史あり―。

株式会社ISOWAを形成してきたISOWA人―ISOWAビト。

今回登場するのは、生産管理システムの礎を作った渡邉巌。

自由な発想で始めた仕事の工夫は、自然に社内で共有されるようになった。

いつも仲間に恵まれてきたと話す、アイデアマンの物語。

第7回 不断の向上心、仲間と共に

退屈との闘い

工務時代の渡邉。社内ソフトボール大会にて。左から磯輪武雄(現会長)、渡邉、早矢仕(故・元報徳工業取締役)。外野の好守備で表彰される。(昭和45年)
 渡邉がISOWAに入社したのは、昭和41年。以前紹介した梶田、松井(第3回登場)らとは同期入社だ。彼の社会人生活は、他の新入社員同様、組立グループでの研修からスタートした。

 研修が半年にさしかかった頃、購買部への配属が決まった。購買部にいた先輩社員が退職し、欠員が出たからだ。配属先での仕事は、いわゆる倉庫係。仕入れた部品に不備がないかを検品し、倉庫にて管理し、必要なときに払い出すというものだった。

 あくる年の4月、購買部での仕事にも慣れてきた頃、部品倉庫係が部品検査係から独立した組織となり、渡邉の部品倉庫係への配属が決まった。 「当時の機械は、今ほど種類も多くないし、複雑じゃなかったから」どの機械にはどの部品が必要か、全て覚えてしまうまでに、時間はそう必要なかった。いったん覚えてしまえば、あとはひたすら退屈だった。「この仕事が、自分にとってどう役立つのだろう」発展性を見出すことができず、いかに楽をするか、いかにサボるかを考える日々。渡邉はよくサボっているらしい。そんな噂があったのか、なかったのか。ある日、上司から声がかかった。
「そんなに暇なら工務へ来いよ」
工務へ異動することになった。

忙しさの中で

新潟の工作機械メーカーへ機械の検収の為出張。初めての上越新幹線乗車で記念撮影。(加工時代の渡邉。平成12年、2月)
 先輩達との差に愕然とした。工務で最初に感じたのがそれだった。年齢は3〜6歳しか違わなかったが、それ以上の能力差を感じた。「今から考えてみると、後に役員になった人ばかりだし、優秀な人が揃ってたんだな。もちろん、当時はそんなこと考えてもいなかったけど」自分の遥か向こう側に感じられる先輩達。彼らと仕事をすることが、その環境が、刺激になった。

サボることに向いていた意識が、自己の向上へと変わった。先輩について取引先へ出かけたときには、折衝の仕方、やりとり、ほんの細かいところまで観察した。先輩に追いつきたい。その想いが彼を動かした。 担当を持つようになると、先輩から盗んだ技を活かし、突っ走った。経験豊かな仕入先の担当者との交渉は、成長と自信につながった。「裏で、ある程度の話がついていたんだろうけど。でも、自由に交渉をさせてもらうのはとてもいい経験になった」刺激的な日々だった。

 工務での仕事に慣れてくると、次第にマンネリを感じるようになってきた。
「メンバーがずっと一緒だったからね。仕事も固定されていて、なんだか飽きちゃったんだな」同じ仕事をやり続け、突き詰めることで、効率的に仕事を進められるようになる側面もある。しかし、新しいことに挑戦してみたかった。希望部署は空欄のまま、異動願いを出した。

 異動した先は部品課。主に、修理に使う部品を調達する部署だ。どんどん仕事が入ってくる時代。仕入先の供給ペースにも限界があるので、他部署と の間で部品の調達競争が起きるほどだった。部品課は工務に比べて発注数が安定しないので、仕入先から見た優先順位もおのずと低くなってしまう。そのため、なかなか部品が調達できない。部品を少しでも早く手に入れるために、過去の発注の流れを検証してみたところ、加工時の工程間での時間ロスが大きいと感じた。「材料は手に入るんだけど、なかなか加工が進まないときもあって。工程間のロスをどうにかしたかったから、複数の工程をまとめてやってくれるところから仕入れるようにしたんだ」多少なりとも改善が見られたことで、無駄を見つけ、なくしていくことの大切さを改めて実感した。そして、チームワークの大切さも。
「社内でコントロールしてくれていたから、上手くいったんだよ」信頼できる仲間がいたからこそ、外で自由に動き回ることができた。

ひとりじゃないから

渡邉と筆者の鈴木。渡邉は現在、効率のよい部品調達を目指し、創意工夫しながら会社全体の利益を考える購買グループのマネージャーとして、また社員の為の安全な職場づくりを考える安全管理者として会社を支え続けている。
 入社して20年、40歳という年齢もあり、もう新たな部署への異動はないだろうと思っていた。部品課に骨を埋める覚悟でいた。
当初、『東京へ』という話がきた。「覚悟はしていた。会社が言うことだから」ふたを開けてみれば、購買部への異動。実に20年ぶりの購買部だ。不安はあったが、働き始めてみると、大筋では以前と同じだった。「40歳の新人でも、違和感なく働けたよ。とても面倒な仕事だけど」
購買部にも慣れてきた頃、工務から払い下げられたコンピュータを手に入れることができた。「楽に仕事をするために、部品に勝手に番号をつけて管理し始めたんだよ」仕事に余裕ができて、ゆったりと働くことができた。それが目に留まったのか、タイミングが合ってしまったのか。全社的な生産管理システム構築に参加せよと、お声がかかった。「わからない、できない、って逃げようと思ったんだけど、話を持ってきた室町さん(元管理グループ顧問)が直属の上司になったから逃げられなかった(笑)」
現常務の磯輪保之やシステムの担当者らと、部品にコードや番号をつけシステムを作り上げていった。「コードは、設計から手書きで上がってくる部品表に書き込んでいたよ。設計のやり方とは連動してなかったから。不便だった」最終的には全社的な整合性を持たせた。これが、現在ISOWAで稼動している生産管理システムへとつながっている。

 その後、加工のマネージャーとして組織の再編、仕事の見直しに取り組んだ。「ひとりで頑張ってもどうにもならない。みんなで動いてきたからどうにかなった。これまでも、ずっとそうだった」

 現在は、購買部のマネージャーであると同時に安全管理者として、社員の安全に心を砕いている。
「オレは何もできないから。周囲に恵まれていたんだよ」
自嘲気味に語るその言葉から、ともに歩んできたISOWAビトたちへの信頼が溢れていた。




   文中敬称略