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平成18年9月17日号
ISOWAビトの物語

会社に製品あり、製品の影に人あり、人に歴史あり――。

株式会社ISOWAを形成してきたISOWA人――ISOWAビト。

第4回目は大阪営業所所長、野川富男の物語。

機械いじりが好きだった野川少年は、東京への憧れを抱き、ISOWAの門を叩いた。

そして、希望通り東京へ。

さて、彼は一体どんな物語を紡いできたのか・・・

第4回 不屈の男、思いを貫いて

当時を思い出し、思わず力強く拳を握った。
「誰にも負けたくなかった」
負け犬にはならない…勝ちにいく、その姿勢を貫いた言葉だった。
たった一言でも、その思いは十分に伝わってきた。
野川富男、常に勝つことを考えてきたISOWAビトである。

苦悩の日々、新たな考え

旅先にて同僚と。左から尾崎(現顧問)、野川、安江(元東京営業所所長)。
時は昭和40年、「プリスロのISOWA」と呼ばれる激動の時代に、彼はISOWAに入社。実習を経て、東京サービスに配属され経験を積むことになった。売れに売れたプリスロ、それだけ据付にいくことが多かった。仲間もそれぞれ据付に行くため、少ない人数での作業となる。しかし、その分多くの知識と技術を身につけていった。がむしゃらに働く日々だった。そんなおりに、
「営業に来ないか?」

 先輩から営業へ誘われた。彼の仕事ぶりを見て営業でもやっていけると見込んだのである。

 しかし、期待されて営業に配属されるも、大きな悩みにぶつかることになった。お客様の会社まで行っても、社長に会いに行けない・・・面会まで辿りつけなかったのである。会社の前まで行くが、そのまま戻ってきてしまう。機械から人への付き合いの変化に惑い、怒られる日々が何ヶ月も続いた。逃げ出したい時もあった。
「それでも負け犬には見られたくなかった…」
他人からの罵倒や嘲笑よりも、自分自身のプライドが許さなかった。

 ある日、いつものように据付人員不足の応援でお客様の工場で作業していた時、現場でお客様のオペレータから社長を紹介して頂ける事があった。「これだっ!」と思った。営業マンとしてでなく、技術屋としてお客様にアプローチし喜んでもらう。評判は現場から会社のトップへ伝わり、自然と社長と会うことができるようになった。まったく新しい営業方法だった。それからは技術屋としてお客様の会社に数多く赴き、誰にも負けない注文をとってくることができたのである。

自分への自信、機械への自信

関東のお客様工場にて。昭和49年8月、PS6Bの据付に赴いた。左端が野川。
営業での成功はサービス時代に学んだ技術と自信に支えられていた。サービス時代からお客様のためにしてきたことは、確実に活かされている。そして、自社の機械に絶対の自信を持っていた。
「営業マンは自分達の機械に自信が持てないと勤まらない」
強いプロ意識があった。そんな彼の元に、大阪で所長をやってみないかとの誘いが舞い込んだ。だが、「こんな自分には所長は向かない」と思い、断わり 続けた。しかし、繰り返し誘われるうち、当時はまだ発展途上の大阪を自分の手で変えていきたいと思うようになり、とうとう引き受けることを決意した。初めて誘いを受けてから実に3年もの月日が経っていた。

社内改善、所長としての決意

 当時、大阪の所長は5年の間に何度も入替わり、お客様の間にも、不安と憤りの声が聞こえた。もちろん、大阪営業所内でも様々な葛藤があった。そんな中、平成12年に野川は新しく大阪所長に就任した。 まず、取り掛かったのは、営業所内の雰囲気の改善である。従来の大阪営業所の枠にとらわれずに、もっと大きな世界で物事を考え、またお互いをよりよく理解していくためである。雰囲気は、わずか1年たらずで格段に改善されることになった。仕事にうまく集中できず、大きな役割と責任も早く捨ててしまいたかった時期もあったが、今では、仕事が大変面白くなってきたと言う。世界一社風のいい会社作りという社長の磯輪英之の考えは大阪でも浸透し、活かされていた。また常に、勝つ意識を持ち仕事に取り組む姿勢も、所内に活気とやる気を出させているのだろう。

  しかし、まだまだ満足はしていない。
「もっと雰囲気を良くしていき、売上も他の営業所に負けないくらい伸ばし ていく」
理想の大阪営業所を目指し、努力する日々を送っている。

これまでと、これから…

野川と筆者の岩田。野川は現在大阪営業所の所長として活躍。お客様とも他の社員ともにこやかに向き合い、親しまれている。
ISOWAに入社してから、ずっと同じ気持ちで仕事をしてきた。
それは「誰にも負けたくない」という気持ちである。仕事はただできれば良いのではなく、勝たなければ意味がない。そのくらいの気持ちで取り組んできた。

 平成2年に行われた自社の「磯輪鉄工所」の社名変更の際にも、数ある応募の中から野川の考えた「ISOWA」が採用された。会社の伝統、思いを残すため、中心となる「いそわ」を残し、シンプルで親しみやすいローマ字に変えたのが由来である。世界中にお客様を持つ自社にとって、ローマ字で書かれた社名はジャスト・フィット。仕事だけではなく会社の名付け親も勝ち取っているのである。

 そんな彼は今、所長として、多くの仲間を引っ張っている。これからは、彼の闘争心を受け継ぐ社員が多く出てくることだろう。そうなれば今以上に所員が一丸となって、大きな目標、改善に取り組む。そしてその勢いは大阪営業所だけにとどまらず、他の営業所、本社まで巻き込むほどに大きく成長していくだろう。
「誰にも負けたくないです」

そう答える社員が増えていく…これから起こる、そう遠くない未来に実現するのが楽しみである。




   文中敬称略