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平成18年10月17日号
ISOWAビトの物語

会社に製品あり、製品の影に人あり、人に歴史あり―。

株式会社ISOWAを形成してきたISOWA人―ISOWAビト。

今回登場するのは、納期を守る製品づくりを支えてきた組立グループの舟橋正秋。

組立技術を一から学び、謙虚に技術を磨いて得た、仲間からの信頼。

それは、時と共にISOWAの機械の信頼へとつながっていった。

第5回 築かれた信頼、真摯な思い

「私の人生なんて平々凡々ですよ」
 そう、初めに口を開いた。
「何も特別なことはなかったからね、面白い話は期待できないよ」
 そう言って、当時を振り返りISOWAでの出来事を話しだした。
舟橋正秋、誰よりも長く、そして多くの現場を経験してきたISOWAビトである。

始まりの卒業と入社

入社時の舟橋。履歴書に使った写真。まだまだあどけなさが残る。
昭和32年、中学を卒業したばかりの少年は、学校に求人案内が来たのをきっかけにISOWA、当時の磯輪鉄工所に入社を決めた。入社後すぐに製造の現場に配属されたが、一般科目しか勉強していない彼は、機械の事だけでなくボルトの種類さえもわからない状態からの始まりだった。入社当初は組立作業の準備だけでなく、冬のストーブの火付け、お昼の準備等も行っていた。まだまだ生産設備が整っておらず、溶接は外注工場に頼んでいた。また近場への出張にはバイクで行き、据付に行くのに機械を馬や牛で引っ張って運び、馬や牛がだめならコロを敷いて転がしたりした。遠方に修理に出かける時には、大きなギアを2人で担いで電車に乗ったこともあった。四日市への出張にも船で行き、前後にしか動かないチェーンブロックを使うため、1日中梁の上に居ることもあった。伊勢湾台風の時には機械が波にさらわれそうになり、錆だらけになってしまった機械を、わずか3日で綺麗に仕上げ直した。突発的なトラブルにも納期を守ろうと必死になって出荷に間に合わせたこともあった。今では信じられない話ばかりである。そんな中でも、気分は落ち込むことはなかったと言う。
「楽しく仕事ができたよ。同期との競争意識が強かったからね」

 常に新しい物に興味を示した彼等は競いあって、我先にと仕事に取り組んだ。辛いなどと感じる暇もなかった。

多忙な日々と信頼関係

慰安旅行先にて、上司・同僚と。左から、樋口(元組立グループ)、舟橋、山口(組立グループ)、磯輪英一(現相談役)。
入社してから6年目に本社が現在の春日井に移転となった。それと同時に組立グループに4つの班が結成された。人材、敷地が増え、またそれにつれて機械も多く組むようになった。1年に13台ものコルゲータを出荷することもあった。乾燥機(現在のダブルフェーサ)やカッターが売れに売れた。また、その頃は班の中で2人ずつペアとなり仕事に取り掛かっていたが、出荷数が多く人手が足りない状況が何年もの間続く事となった。舟橋も色々な機械を組み上げるのに必死になり働いていた。そんな時、長い時間をかけて組み上げた機械が、間違って全て逆向きに組んでしまっていた事もあった。当然怒られ、夜通し急ピッチで組み直しに行った。
「あの時は、本当にビックリしたよ」
当時の忙しさを思い返した。

  暫らくして海外にも出荷が増え、班を引っ張るリーダーが長期にわたり不在になることが多くなった。そんな時の新人の育成、指導をかってでたのが舟橋である。入社してから学んだ豊富な知識と技術を教え込んでいった。リーダーは安心して出張に行くことができ若手も着々と育っていく。こうして、舟橋は先輩・後輩問わず、皆に多くの信頼を築きあげていった。

新たな役割と責任

現在の舟橋と筆者の岩田。定年退職するも、すぐに復帰。製造現場の第一線で活躍するとともに、後輩に対し、厳しさも交えつつあたたかい指導を続ける。組立グループに所属する岩田も、舟橋に指導をうけている。
多くの仲間から信頼されるようになった舟橋は、やがてリーダーに任じられた。納期を絶対に守ることを第一に、班員一丸となり仕事に取り組んだ。リーダーとなったばかりの不安を打ち消すほど、まとまりの良い班であった。メンバーの良し悪しだけでなく、今まで築き上げてきた信頼がそうさせたのだろう。皆のお陰で苦労することは殆どなかったと言う。

  しかし、そんな彼に非常に困った出来事が訪れた。彼が世話になってきた組立グループの全体責任者から、自分の後任になれと命ぜられた。自分にはそんな大役は向いていないと初めはその要請を断ったが、
「おまえがやらなきゃ誰がやるんだ! バカを言うな!」
と叱咤された。そこまで言われては断ることもできなかった。その代わりに、1つだけ約束として、
「自分が失敗することがあったら、何時でもいいので降して欲しい」
と頼んだ。しかし、彼はその後9年もの間、見事に組立グループの責任者を務め上げた。仕事の受注の判断も任されていた彼は、難しい納期の仕事も全て引き受け、達成してきた。
「出来る、出来ないじゃない。納期が決められたらやらなきゃ駄目なんだ。何事も出来ると思えば出来るものだ」彼らしい言葉である。彼の上司の判断は間違っていなかった。責任者を務めあげた後、定年を迎えた彼は惜しまれながらも退職していった。

終点からの出発

 退職した彼だが、現在、元気にISOWAの現場で働いている。定年を迎え退職した彼の元に会社から、
「後輩に伝えて欲しい事が沢山ある」
と現場復帰の依頼があり、
「使ってもらえるならすぐにでもISOWAに戻ります」
と悩むことなく返事をした。退職後、わずか6ヶ月後のことである。それだけ必要とされ、また彼自身もISOWAで働くことを必要としていたのだろう。現在も多くの仕事を任されながら、新人の面倒も見ている。定年退職で終わりかと思われた、彼のISOWA人生だが、まだまだ続きそうである。 むしろ、これからが新たな出発とも言える。仕事は生涯ISOWA一筋、彼はまさにISOWAビトである。




   文中敬称略